オーストリア 観光スポット情報

ザルツブルグ

都市名の由来 Salz=塩+Burg=砦の意で、バート・デュルンベルグで取れた岩塩をハライン市にて製塩しザルツァハー川を通りヨーロッパ各地に運ばれていた。ザルツブルクは、町の中心を南から北に流れる清流ザルツァハーの西側に位置し、ツェントルム(Zentrum)と呼ばれる旧市街と、川の東側に位置する新市街とに分かれる。新市街には1606年に建てられたミラベル宮殿と庭園、1776年に創設された州立劇場、1898年建造の聖アンドレ寺院、1841年に大聖堂音楽協会として始まり、1914年に音楽院となったモーツァルテウム、ザルツブルク・マリオネット劇団が公演されている。マカルト広場には、モーツァルトの住居(1774年に市街の生家から転居)がある。

お勧め観光スポット

ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト生家
1756年1月27日にヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトが誕生したといわれる家Gebursthausは、ゲトライデ通り9番地にある黄色い建物の4階にあり、現在はモーツアルト記念館として残されている。ここには愛用のピアノやヴァイオリンなどの楽器、自筆の楽譜のほか、父レオポルト、母アンナ、姉ナンネルをはじめとするモーツァルト一家の肖像画などが展示されている。
ザルツブルクは、ウィーンのような有力貴族を欠いており、音楽をたしなむ階級が圧倒的に不足していた。1762年モーツァルトは、すでに家族とともにウィーンへ演奏旅行で訪れ、大好評を博していた。モーツアルトが21歳の時、新天地に職を求めてミュンヘンやマンハイムを旅したのは1777年の事であった。
ザルツブルク大聖堂
ザルツブルグ大聖堂は、1628年にバロック様式によって建て直されたものである。
イタリア出身のサンティーノ・ソラーリオによって設計された大聖堂は、ドームの乗る大理石の双塔をもちペディメントをはさんで構成されたファサードを特徴とする。
多数の彫刻によって装飾され、内装は光の効果をふんだんに利用しており、イタリアのバロック様式を取り入れた美しい建築で知られる。1万人もの人員が収容可能であり、大規模なミサがとりおこなわれ、また、ヨーロッパ最大のパイピオルガンを所蔵している。
ミラベル宮殿と庭園
現在はザルツブルク市長公邸として用いられている。2階には壮麗な「マルモーア・ザール(大理石の間)」があり、モーツァルト親子もここで演奏をおこなっている。2階にのぼる階段は“天使の階段”と呼ばれ、1723年にラファエル・ドナーによって造られたものである。
ミラベル庭園は、1690年にフィッシャー・フォン・エルラッハによって設計された美しい庭園が宮殿に付設されている。庭園には、ギリシャ神話の神々の彫刻がならび、“ペガサスの噴水”のまわりは、映画 “サウンド・オブ・ミュージック” でジュリーアンドリュースが演じるマリア先生と子どもたちが一緒にドレミの歌を歌い、踊ったところである。
祝祭大劇場
大聖堂から少し離れた聖ペーター僧院教会の西側には、クレメンス・ホルツマイスターの設計により1960年に完成した祝祭大劇場があり、ステージの規模は世界最大級をほこる。祝祭劇場は大劇場、小劇場、メンヒスベルク山の岩肌を削ってつくられたフェルゼンライトシューレ、かつて夏季乗馬学校として利用されたが、現在は“魔笛”の上演などにおいて独特の舞台を提供している。1965年映画“サウンド・オブ・ミュージック”のコンテストの会場になったことでも有名である。
聖ペーター僧院教会
聖ルーペルトが696年に開いたベネディクト派の教会であり、ドイツ語圏のなかでは最も古いとされる男子修道院である。当初はロマネスク様式を主として建てられ、三廊式バシリカの形式をもち、回廊西翼や玄関にはロマネスク様式の、マリア礼拝堂には初期ゴシック様式の古い建築様式を今に伝えている。18世紀後半には後期バロック様式で改築され、内装はきわめて壮麗かつ優美さも加わり、すでにロココ様式の片鱗もみられるとの評価がある。
ノンベルグ修道院
西暦700年頃にブルクベルクの山麓に創立されたドイツ語圏最古の女子修道院である。15世紀後葉に改造された三廊式バシリカには1150年のロマネスク期制作の壁画が今も残っている。
ホーエンザルツブルグ城
大司教ゲブハルトが皇帝派の南ドイツ諸侯に対抗すべく建築した防衛施設である。
ホーエンザルツブルク城は、町のほとんどどこからでも見ることができ、1.3キロメートルにわたって続く高さ約50メートルの高地をなしている。一番高い場所の標高は508メートルである。城のなかには、等身大の12使徒像がならんだ1498年建造の“聖ゲオルク礼拝堂”、ザルツブルクの町の人びとに時を告げる、1502年製作の機械オルガン“「ザルツブルクの雄牛”があり、いずれもレオンハルト・フォン・コイチャッハ大司教の大拡張によるものである。その後も歴代の大司教により増改築がくり返され、17世紀後半にはほぼ現在の姿に近づいたと考えられる。
ザルツカンマーグート
オーバーエステライヒ、スティリアとザルツブルグ州にまたがり、多くの山や湖に囲まれている。ハルシュタット湖周辺は“ザルツカンマーグート地方のハルシュタットとダッハシュタインの文化的景観”として1997年ユネスコ世界遺産に登録されている。ハルシュタットでは岩塩坑の見学が可能。主な見どころは古城ホテルがあるフッシェルアムゼー、世界遺産のハルシュタット、モーツァルトの母の誕生地サンクトギルゲン、シャフベルグ登山電車出発地のザンクトウルフギャング湖や名画サウンドオブミュージックのロケ地でマリアとトラップ大佐が結婚式を挙げたシュティフト・ブファール教会があるモント湖など。
名画サウンド・オブ・ミュージック撮影地
原作者マリア・フォン・トラップ、提供20世紀フックス、1965年公開
主な撮影地
レジデンツ広場、フローンブルグ宮殿、レオポルツクローン城、
ノンベルグ修道院、聖ペーター教会墓地、ミラベル宮殿と庭園、
モーツアルト小橋、祝祭劇場フェルゼンライトシューレ(ホール)
モントゼーにあるシュティフト・ブファール教会など
ザルツブルグ音楽祭
ザルツブルク音楽祭はモーツァルトを記念した音楽祭として、毎年7月から8月の夏場に開かれる世界的に知られている音楽祭。ウィーンフィルなど、世界トップクラスのオーケストラ、指揮者、ソリストや歌劇団が集い、もっとも注目を浴びる音楽祭の一つである。
ヘルブルン宮殿
ヘルブルン宮殿は大司教マルクス・フォン・ホーエネムスの夏の離宮としてザルツブルク南郊に建てられた宮殿。
至るところに水の仕掛けがあり、庭の石造りのテーブルから定期的に水が噴き出す仕掛けや噴水により王冠を浮かび上がらせる“王冠の噴水”などでも有名である。かつて大司教はこの宮殿に客を招き、宴もたけなわになると水を降らせて客がびしょ濡れになるのを楽しんだという。庭園内にはマルクス・フォン・ホーエネムスが1月で完成させたという伝説をもつモーナーツ城があり、現在は民族博物館として利用されている。
モーツァルト広場・ドーム大聖堂
モーツァルト広場の中央にモーツァルト像があり、有名なカフェやレストランが並んでいる。その北のモーツァルト小橋によってザルツァッハ川右岸の新市街と結ばれている。
ゲトライデガッセ、中世の小路
ザルツブルグ旧市街中心部にはゲトライデ通りがあり、中世都市構造を見る事が出来る。中世様式、ロマネスク様式、ルネサンス様式やバロック様式などの建物はハプスブルグ君主国時代における擬古典的で優雅な民家を目にすることができる。街並にはアーケードをめぐらせた中庭などがあり、不規則に絡み合った細い小路などが多数見受けられる。この通りにはかの有名なモーツァルトの生家もある。

 

ウィーン

シェンブルン宮殿
宮殿の名称は神聖ローマ皇帝マティアスが美しい( シェン ) 泉( ブルン )を狩猟していた時に発見し命名したと伝えられている。
ハプスブルグ皇帝、夏の離宮だったシェンブルン宮殿は、ヨーロッパで最も美しいバロック宮殿および庭園に数えられ、1569年にハプスブルク皇帝家の所有となり、皇帝フェルディナントII世の皇妃が1642年、ここにプライベートな小宮殿を建設した。オスマントルコ軍のウィーン攻囲の後、1696年に新たな宮殿と庭園施設が建設され、マリア・テレジア女帝時代、1743年以降、抜本的に改築された。宮殿内には公的な目的の広間や数多くの私室があり、ハプスブルク家の人々は年間の大半を、これらの部屋で過ごしていた。
この宮殿で生まれたフランツ=ヨーゼフ皇帝(1854年生。在位1848〜1916)はエリーザベートと結婚。皇后(愛称シシィ)は絶世の美人として知られ、晩年の数年を皇帝はここで過ごし、死去2年後の1918年、宮殿は新生のオーストリア共和国の所有するところとなる。その歴史的重要さ、美しい環境、豪華な建築様式、庭園の素晴らしい配置で、シェンブルン宮殿はウィーンで最も人気の高い名所となりユネスコ世界遺産に登録。
宮殿内には1441の部屋があり、そのうちおおよそ45の部屋が一般公開されている。内部はほとんどがロココ調で装飾が施され、白の壁面は14カラットの金箔を押した装飾で飾られている。ボヘミア製のクリスタル・ガラスのシャンデリアや、陶磁器製のタイルで作られた暖房ストーヴも、装飾の設計の一部となっている。
鏡の間では6才の天才音楽家だったモーツァルトが御前演奏をした。 円形の「中国の部屋」は、マリア・テレジアと宰相カウニッツ公との秘密の会議に使われた。
「青い陶器の部屋」では、1918年、最後のオーストリア皇帝カール1世が皇帝位放棄の書面に署名し、オーストリア領におけるハプスブルク王朝の640年に及んだ長い歴史と、オーストリア=ハンガリーの地における君主制に終止符を打った。
ローズ・ウッドの寄せ木の壁と床から天井まで高価なインドやペルシャの細かい細工で飾られた「ミリオンの部屋」は、世界のロココ調の部屋の中で最も豪華絢爛の部屋。1814〜1815年のウィーン会議はここの大広間で毎夜踊り明かされ、現在、オーストリア政府は海外から国賓として訪れる賓客をここで国家公式晩餐会を開いて歓待している。

シェンブルン宮殿拝観時間と料金
拝観時間 4月1日~6月30日 08:30~17:30
7月1日~8月31日 08:30~18:30
9月1日~10月31日 08:30~17:30
11月1日~3月31日 08:30~17:00

入場券は08:15分から販売
入場料金 大人 小人 (6~18才まで)
インペリアル 10.50ユーロ 7.50ユーロ
グランド 13.50ユーロ 9.50ユーロ
インペリアルツアー所要時間30~40分、22室見学
グランドツアー所要時間50~60分、40室見学
* 全てオーディオガイド付き無料
* ガイド付き見学は料金が変わりますのでご注意ください。

ベルベデーレ宮殿
ウィーンにあるバロック建築のベルベデーレ宮殿はもともとハプスブルグ家に仕えたプリンツ・オイゲンが、夏の離宮として造らせたものである。1714から1716年にかけて下宮、1720から1723年にかけて上宮が建設され、プリンツ・オイゲンの死後1752年に、バプスルブルグ家のマリア・テレジアに売却された。現在はオーストリア絵画館になっている。オーストリアで2番目に大きな美術館でグスタフ・クリムトの代表作“接吻”や“ユディド”などが楽しめる。
ウィーン美術史美術館

http://www.khm.at/en/
古代から19世紀に至るヨーロッパ各地の美術品を収蔵している。なかでもビーテル・ブリュゲルの作品数は世界最大を誇り、“雪の中の狩人”など美術全集でおなじみの傑作が1室に集められている。
ウィーン国立歌劇場

http://www.wiener-staatsoper.at/Content.Node/home/index.php
ウィーン国立歌劇場( Wiener Staatsoper) 1920年まではウィーン帝立・王立宮廷歌劇場(k.k. Hof-Operntheater–Neues Haus)と呼ばれていた。
ウィーンはドイツから北イタリアを支配していた神聖ローマ帝国の首都でったため、ドイツ・オペラのみならずイタリア・オペラにとっても中心的存在であった。
専属オーケストラであるウィーン国立歌劇場管弦楽団が、世界でも一、二の人気を争うオーケストラであるウィーン・フィル・ハーモニー管弦楽団の母体である。
ウィーン楽友協会

http://www.musikverein.at/
ウィーン楽友協会(Wiener Musikverein)は1812年設立されたウィーンにあるクラッシック音楽関係者による団体およびその本部の建物。ただし大ホールは1870年に建設された。
大ホールは通称「黄金のホール」と呼ばれウィーン・フィル・ハーモニー管弦楽団の本拠地として知られる演奏会場である他、同じ建物に資料室や出版社、ピアノメーカー、ベーゼンドルファーなどが同居している。
ウィーン少年合唱団
ウィーン少年合唱団(Wiener Sängerknaben)は、1498年にローマ皇帝マクシミリアン1世がウィーンでの新宮廷礼拝堂少年聖歌隊設立の際に、ヴィルテン少年合唱団のメンバーをウィーンに連れてきたものである。
宮廷少年聖歌隊の任務は宮廷音楽隊の一員として礼拝堂でのミサ曲の演奏にあった。
現団員数は約100名で、演奏会用に約25人ずつ4つのグループ(モーツァルト、シューベルト、ハイドンとブルックナー)に分けられ、いくつかのクループが海外演奏旅行に出かけている間でも、最低1グループはウィーンに残り、毎週日曜日の礼拝堂でのミサで演奏する。
1924年に“ウィーン少年合唱団”として公式団体として創設された。合唱団は私立の全寮制学校で、練習場所及び寄宿舎と学校としてウィーン近郊の陶器でも有名なアウガルテン宮殿内を利用している。団員は声変わりするころの14歳になると退団する。
少年たちは早くから堅実な音楽教育を受け、ほとんどの場合その後の人生に重大な影響を受けている。そのため、彼らの多くが職業音楽家として活躍するようになった。1952年には、男声合唱団コルス・ヴィエネンシス(Chorus Viennensis)が創設された。そこでは専ら、かつてのウィーン少年合唱団員が活動し、たびたび団とも共演する。しかし現在は音楽関係の仕事に就くのは2割程度だという

 

ウィーンの森 北部

カーレンベルク Kahlenberg
ウィーンの森の東北端、ドナウ河とウィーン市街を見下ろす海抜484mの山で、展望テラスやレストランがある。さらに東へ、 レオポルツベルクまで徒歩で約30分、ドナウ川が眼下に眺められる。ヘルマンスコーゲルやハイリゲンシュタットへハイキングしてもよい。(ハイキングマップは市内市庁舎内のインフォメーションにて入手可能)
ハイリゲンシュタット Heiligenstadt
カーレンベルクからハイリゲンシュタットへ行く場合、東南方に向かい、森とブドウ畑を抜けて歩いて降りることもできます。ハイリゲンシュタットに入る少し 手前、林の中のベートーヴェン・ルーエにベートーヴェンの像があり、ここから、ベートーヴェンが田園交響曲の楽想を得たと伝えられる小川のほとりの小道 「ベートーヴェンガング」が始まる。
エロイカ通りと交差するところで右に曲がってしばらく行くとプファールプラッツ広場に出ます。広場の教会手前にはベートーヴェンが部屋を借りていた 家があり、その手前から、プロブスガッセという通りに入ると、ベートーヴェンが悲痛な遺書を書いたことで知られる家がある。現在はベートーヴェン記念館になっています。

 

ウィーンの森 南部

マイヤーリンク Mayerling
1989年に、ハプスブルク家のルドルフ皇太子と男爵令嬢マリア・ヴェッツェラが心中した皇太子の狩りの館が、今は修道院となっている。
ハイリゲンクロイツ Heiligenkreuz
1133年に設立したオーストリア最古の、シトー派修道院があります。キリストの磔刑に用いられた十字架の聖遺物が保管されているところから、ハイリゲンクロイツと呼ばれるようになった。列柱の美しい回廊は1220〜50年頃、ステンドグラスは1300年頃のも。
ヒンターブリュール Hinterbruehl
6200平方メートルのヨーロッパ最大の地底湖ゼーグロッテがあり、ボートで観光できる。1848年から60年余りここで石膏が採掘されていたが、1912年に洪水が起こり今のような地底湖ができた。
この他、この町にはシューベルトが「菩提樹」などを作曲したという通説のある、ガストホーフ・ヘルドリッヒスミューレがあり、裏側を流れる小川のせせらぎと小鳥のさえずりが、1世紀を超えた今日も変わらず、散策する人々の心を和ませてくれます。
バーデン Baden
ウィーンの森の東南端に接している古くからの温泉保養地。15世紀中頃に、皇帝フリードリッヒ3世から都市権を与えられた。ハプスブルク家の帝国華やかなりし頃は多数の王侯貴族が集まり、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどもよく滞在しました。